第3章 風の原点 「家に帰りたい」
今回は私の勤務医時代の苦い経験、つらい、心が痛む体験をお話します。
これを契機にして「何とかこの問題に手をつけよう」と始めたのが、現在のNPO法人『新田の風』の活動です。いわば原点ともいえる出来事です。
今から約30年前。病院勤務医時代のことです。
日本はバブル期に突入していました。大量生産、大量消費、地価高騰…….。日本中が永遠に右肩上がりの繁栄が続くかのような錯覚に陥っていました。
しかし、その裏では核家族化が進み、じわじわと人口の高齢化が忍び寄っていたのです。救急搬送される患者さんも高齢者が多くなり、命はとりとめたものの、介護を必要とされる方々が増えはじめていました。
当時の佐久総合病院院長の若月俊一先生は「これからはお年寄りおよび痴呆症(この頃は認知症という用語はなかった)の問題が最も重要になる」と何度もおっしゃっていました。
私はその若月先生から「老人問題の責任者をやれ」との命を受け、佐久地域における24時間365日在宅医療体制を確立しました。通院困難な退院患者さんのお宅へこちらから定期的に訪問し、急病時には緊急往診体制を敷きました。期を同じくして、介護保険制度や老人保健施設も次々と導入されていきました。
制度は年を追うごとに確立されていくものの、介護問題は厳しくなる一方です。日々家庭介護力は失われ、家に帰りたくとも帰れないお年寄りが増えていきます。
ベッドから見える景色は病院の天井だけ..........
「頼むから家に帰してほしい」「死んでもいいから帰りたい」「帰りてぇ!」
私は、このような人生最後の願いでもあるかのような叫びを何度も耳にしてきました。夜、回診に行くとベッドに正座し、両手を合わせ、目に涙を浮かべながら「家に帰してほしい」と懇願されることもありました。この方々の大半はお亡くなりになって、はじめて家へ帰れるのです。つまり在宅医療とはいっても、実は生きているうちに家に帰れる人はほんの一握りの方なのです。
自宅へ帰りたい......(太郎山山中より上田市内)
「この現実に手をつけられずに何が在宅医療だ!」という良心の呵責が私の胸の内に長い間ありました。
「家に帰りたい!」という願いを叶えてやれないものか?
これこそが、この活動を始める原点なのです。「身内だけで在宅介護をなんとかしょう」というのは、もはや難しい世の中になってきています。そもそも、この国民的大問題を"医療と福祉”だけで何とかしようという発想が大間違いでした。一番大切な"住民”が抜けていたのです。
そしてついに、住民同士で支え、支えられるまちづくりを目指した活動が平成23年度からの厚生労働省補助事業として開始されたのです。"住民と共に”を合い言葉に。
地域住民と医療・福祉の専門家ががっちり力を合わせれば、家族のみの介護から、家族も含めた地域全体で支えあう介護が実現できるはずです。
これを完成させることこそが、NPO法人「新田の風」の目標です。すなわち住民主体の『地域で支え合うまちづくり』です。これは第1章で述べた"横軸”を展開させ、完成させることです。
次回からは、いよいよその具体的な取り組みをご紹介していきます。
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