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特別インタビュー 佐谷圭一氏 『かかりつけ薬剤師に潜む「百日の説法屁一つ」』

2016年09月07日 20:43 by kurihara-naonobu
2016年09月07日 20:43 by kurihara-naonobu

かかりつけ薬剤師に潜む「百日の説法屁一つ」

――かかりつけ薬剤師承諾にノルマがかかっているという話を聞きます。

ノルマであれば非常に厳しいことです。制度の本質は「サービスは同じですがお金がかかりますよ」というものです。私も自局で、かかりつけ薬剤師制度について患者さんに説明することがありますが、「それでもいい」という方は数名いらっしゃる。しかし、「同じサービスで何も変わらないのに、なぜお金だけが取られるのですか?」という問いに対しては、答えることができません。

かかりつけ薬剤師というシステムや方向性については賛成です。しかし、いまの方法には問題があると考えています。何十年もその地域で薬局を営み、信頼関係があり、「少しくらい高くなっても構わない」と言ってくれる信者的な人たちならばよいのでしょうが、それ以外の人たちに「かかりつけ薬剤師にはしませんが、その他の人たちと同じ扱いをしてください」と言われれば、対応するしかありません。仮に承諾を求めて断られたらしこりが残ります。50年も頑張ってきたものにしこりができてしまうことに繋がるのです。

まさに「百日の説法屁一つ」です。いままで培ってきたものが、たった1つのことで全て駄目になってしまうのです。「承諾しますよ」と言ってくれている人は、「多少高くなってもこの薬局でこれから先も頼むよ」と言ってくれる、昔からの信頼関係を築いている人たちだけであり、そこから先の人たちには承諾書を申し出ることができません。いままで培ってきて、無条件に信頼してくれる人が限度です。そこから先に出ると「百日の説法屁一つ」で、商売があっというまに駄目になります。まさにあっというまに噂は広がります。商売は全て信頼です。その信頼を一人でも損ねたら全部に伝播してしまう。ですから怖くて手が出せません。

――たまたま受診した医療機関に紹介された門前薬局が「かかりつけ薬剤師」の承諾を取り、何十年とかかりつけ薬剤師機能を果たし、いまもかかりつけ薬局としてその患者さんに対応している地域の薬局が「やるせなさ」を感じたという話を聞きました。

そのような患者さんも当然出てきます。これは請求の問題であり、お金絡みの話なのです。現場としては非常にやりきれない思いがあります。

薬局というのは商売であり、基本的に信頼で成り立っています。その信頼というのは薄紙を1枚1枚何十年も積み重ねて、やっとここまできたというものなのです。それがたった1枚の「かかりつけ薬剤師」という紙で何かあったら失ってしまうのです。

机上に書いたシステムとしては良いのですが、現場の薬剤師、商店主として50年も生きてきた者に言わせれば、「制度のあり方を変えないと一定の人にしか承諾を求めることはできない」ということです。ましてや門前薬局でノルマをかけたということになれば、薬剤師としてはやりきれないでしょう。


――ノルマを課せられた薬剤師の士気が落ちるのは当然のこと、やる気も失せてしまうのではないでしょうか。

当然そうだと思います。そもそも彼らには「説得の仕方が分からないのでは?」と思っています。

普通はどのような会でも、誓約書を書いて入会の手続きをしたら何かしらのメリットがあります。ゴルフの会員などでもお金自体が安くなります。メリットがなければおかしいのです。しかし、かかりつけ薬剤師制度にメリットはありません。「同じです」では話になりません。命がかかっている商売でサービスを変えることなどできません。

かかりつけ薬剤師制度に関しては、目的は賛成ですが方法論には不賛成です。実際に自分が取り組んでみた結果からの答えです。以前、目的論は賛成と書きましたが、自局でも一定以上は制度の話はしませんし、やる考えもありません。なぜならば、怖くてできないのです。どうやっても説得できません。よほどのメリットがないと納得させることはできないのです。

ご自身も病気を患っている患者さんの話ですが、「薬局に行きたいが奥さんを看病しており、処方せんを持ってくるのが大変」という人がいます。そのような人には「電話をかけてくれれば薬剤師が取りに行きます。会員(かかりつけ薬剤師)になってくれれば半径500メートル位であれば行きますよ」と言えますが、では、承諾書をくれない人にはどれほど困っていても対応しないのかと言われたら「やります」と答えます。「ではどこが違うの?」となります。

「承諾書を取る」ということは非常に難しいことなのです。差別待遇ができない限り難しい。そもそも薬局が差別待遇をすること自体おかしなことです。


――大手企業が承諾書獲得に注力しています。

承諾書さえあれば、患者がどうあろうと請求だけはできます。もしこれが「患者からは1割も取らないが、国の方から100円でも200円でも取れる。ただし、お薬手帳がばらけていたらだめですよ。そういうことを分かってやっていたら違反ですよ」というような、厳格な制度ならばよいと思います。

――通勤時間が1時間もかかるような勤務薬剤師の多い薬局で対応できるものなのですか?

無理でしょうね。門前のチェーンでできるかと言えば、ほとんどできないでしょう。小さい医院で、患者さんが一定の範囲内である「門前かかりつけ薬局」ならばできるでしょう。そもそも都道府県を離れて大病院に来るという患者さんに対応できると思いますか?

卑下している訳ではありませんが、薬局は商売なのです。商売と同時に薬剤師、薬局なのです。そのようにして培ってきた信頼を「できもしない」「何も変わらない」では、お客様騙しになってしまう。ですから長年信頼してくれている患者さんから取れないのです。請求できない。人間関係がおかしくなったら、商売としてはもの凄い損失なのです。信じる人を一人でも失ったら、後ろにいる10人20人の方達も離れていってしまいます。つまり、50年かけて積み上げてきたものが、たった一人で総崩れになる可能性もあるのです。目的論は大賛成ですが、いまのシステムは「問題あり」と言わざるを得ません。

――お金だけ取って「いままでと変わらない」では薬剤師、薬局とは何だ?と国民から思われてしまうのではないでしょうか?

点数や枚数で区分されているのは分かりますが、その中で個別に差別をつけるというのはもの凄く難しいことです。

――大手調剤チェーンの「かかりつけ薬剤師」が転勤した場合はどうなるのでしょうか?

Aという薬剤師がいなくなったら、資格を満たしたBという薬剤師に変わるだけではないでしょうか?Aという薬剤師に出した承諾書ではなく「AがいなくなったからBという薬剤師でもいいですか?」と承諾書を取り直すだけの話ですね。この制度は商売論というものをまるで知らない人たちが作った制度ではないでしょうか?そういう感覚を持った人達は誰一人としていなかったのでしょう。

――目的ではなく現場から見た課題はいかがでしょうか。

かかりつけ薬剤師は患者が認めるものですが、仮に国が認め、お金を払うという時に「患者からは一銭も取るな、国が全て払え」ではどうでしょう。そして条件をもの凄く厳しくする。「これに合致したものならば請求してよい」とする。

繰り返しますが、いまは全く差別が付けられない。それなりのサービスがあって然るべきです。注意すべき点は、薬や調剤、薬剤師の業務で差別をしたら大変なことになるという部分です。そこに今回の制度の矛盾を感じるのです。

しかしこの矛盾自体は、はるか昔に「薬剤師」「薬局」というものができたころからのジレンマでもあります。商売でありながら資格者がいるというのは、薬局が典型です。薬局は何を売ってもいいのです。お弁当や競馬新聞を売ってもよいのです。しかしそこには信頼できる薬剤師がいるという前提があります。今回それを引っこ抜いて、薬局と薬剤師をバラバラにして"かかりつけ薬剤師”を評価するというのは、一見すると良いことのように見えましたが、制度を進めてみると大きな問題が存在していました。

――まだまだ矛盾が出てきそうです。

正直に言えば、私はこの制度には深入りできません。「手を引こう」とさえと思っているほどです。実際にかかりつけ薬剤師の承諾を頂いても、請求していない薬剤師が大勢います。患者としてもお客様としても関係がおかしくなってしまいます。

医薬分業は未だ『砂上の楼閣』


――かかりつけ薬剤師の承諾書取得に関する研修やセミナーが盛況です。

死活問題になっているのです。厚生労働省は門前薬局に厳しい要件を示しました。ここで点数を取らない限り、経営そのものが厳しくなってしまいます。

私が考えているのは、売上最優先ではなく「信頼」という根本の問題です。商売と言うと嫌がる人もいますが、商売と考えた時、評判や信頼が命綱であることが分かるわけです。そこで初めて「百日の説法屁一つ」になるのです。「やってくれることは何一つ変わらないのに、登録した人は高くなるの?」ということを声高に言われたら終わりです。

私は調剤チェーンも可哀想だと思っています。このような制度を作られてしまったからです。門前薬局はどんどん利益を縮小させられている。例えばジェネリックにしただけでも大きな減収です。その上に点数で少なくされたら、私から見ても「チェーン大変だな」と思います。

中には「調剤チェーンなど潰れてしまえ」と思っている人もいるかもしれません。しかし私はそうは思いません。調剤チェーンが潰れたら医薬分業が潰れてしまいます。

明治の時代から「医薬分業の受け皿がない」ということが長く問題になっていました。「医薬分業のメリットは分かるが、いまはできない」というロジックです。明治33年の帝国議会で医薬分業が正式に否決された理由は、「薬剤師の数が足りない」です。そのような意味からすれば、いまの門前薬局を全て潰してしまえば、また「受け皿がない」という議論になります。

王道から言えば否定なのですが、大きな専門病院などは「町の薬局やドラッグストアが常に抗がん剤などを置いて説明できるのか」と言っています。それもなきにしもあらずですが、「いまある門前薬局が悪だから全て潰してしまえ」では、医薬分業が立ち行かなくなります。

いま、医薬分業が完成されているような言われかたをする時がありますが、完成などしていません。医薬分業はこれからなのです。医薬分業の形が一応できただけであり、実際は『砂上の楼閣』です。

「医師は調剤してよい」ということが残っているのです。本当の医薬分業であれば、その部分はカットしなくてはいけない。「医師は調剤できない」とならなくてはいけない。「自分の処方せんは自分で調剤してよい」などということは、世界で類を見ないものです。医薬分業はまだまだ未完成なのです。それを完成したような言い方をし、あっちこっちで争いごとをしているのは、本当にみっともない話です。

繰り返しになりますが、今般の"かかりつけ薬剤師”に関しては、目的は是としながらも、やり方は良いとは言えません。ですから1回取り組んでみて「こういう所が悪かった」というところがあれば直していく必要があります。

――分業率は医薬分業完成の目安となる70%を超過しましたが、はじめの一歩というお考えなのでしょうか。

ここまでの医薬分業は、一種の経済誘導で伸長してきました。先日、外に出していた処方せんを院内に戻すという話が関西でありました。それこそまさに医薬分業が『砂上の楼閣』であるということの証左です。医師法を考えれば、関西の例のように「いままで分業していたところが突然、以前の姿に戻ってしまう」ことが可能なのです。これは全国共通のことなのです。50年かけて作り上げてきた医薬分業が、3年で元に戻ってしまうことが不可能ではないのです。

一方、逆のことも考えられます。欧州などに見られる強制分業国では、薬局だけが薬剤を扱うとなっています。日本とは制度は違いますが、扱う医薬品の10%や15%をオンコストで払います。日本はインコストで技術料を取るというシステムです。

そのような制度が1つでも変われば、全体が大きく変わります。仮に「医師が調剤ができる」ということを残しておいてオンコストにすれば、薬局は必要なくなります。現実的には薬剤の飲み合わせや技術などの基本原理を積み重ねて医薬分業は成り立っているので考えられませんが、世界の主流は強制分業なのです。

以前ある一般紙が、スイスのカントン(=地方行政区画。スイスは26のカントン・州からなる連邦制度)における「医師による調剤」に関するレポートを発表したことがあります。原則として医師が調剤することは許されないのですが、そのカントンは医療に不便さを持つ地域にあるため、地方行政機関から許可を取って医師が調剤を行っていました。

記者の質問は核心をついたもので、医師に対して「自身で処方せんを発行して調剤をする時に、使用する薬剤や価格、利益のことは考えますか」と聞いたところ、医師は「やはり経営のことを考えてしまう」と恥ずかしさを含め吐露していました。

そのようなことも踏まえて、まだまだ日本の医薬分業は『砂上の楼閣』と言っているのです。

それと同時に、かかりつけ薬剤師論は正当論ではありますが、『やりかた論』としてはいただけないなということです。当初は「これは踏み絵だから乗り越えてみなければ」と捉えましたが、限度というものがあります。そして"かかりつけ薬剤師”承諾が調剤チェーンに務める薬剤師のノルマであれば可哀想なことです。

――ノルマとされたため、その薬局を辞めたという話も聞きます。

承諾書争いになり、請求する。しかし実態はない。雇われているのでノルマをかけられてしまう。自分の薬局であれば「承諾書を取るのを止めよう」「請求は止めよう」ということができますが、「社長の顔などは見たこともない」という大企業であれば、現場の声は届かないでしょう。そのような企業環境の中で、「やれ」と言われたら「やる」か「辞める」しかありません。

しかしながら、チェーンのやり方が分からないでもありません。環境が厳しくなっている中、やらなければ経営が難しくなります。経営者のやり方も分からないことはありませんが、薬剤師を見れば可哀想としか言いようがありません。

薬剤師側も"かかりつけ薬剤師”の資格を取らなければいいのかもしれませんが、取らなければ「雇わない」ということになるかもしれない。そこにジレンマがあります。

かかりつけ薬剤師制度について基本的なことは否定しませんが、『やりかた論』は早く是正した方がいいと思います。いまのままでは問題を起こすだけです。

響きの良い言葉に乗ってしまっているのかも知れませんが、全体的に「モノから人へ」へという流れがあります。薬剤師への評価も、この「モノから人へ」という軸に変わってきていますが、薬剤師は知識・技術(人)、そして薬(モノ)を通して患者や生活者と関わっているのです。付言すれば、かかりつけ薬剤師自体がヒト(薬剤師)とモノ(薬)のセットです。これを「ヒトだけ評価する」ということになれば、何らかの問題が発生するのも当然のことだと考えています。

 

佐谷 圭一(サヤ・ケイイチ):1938年群馬県生まれ。61年明治薬科大学薬学部卒業。大学卒業後2年間、都内の薬局に勤務した後、63年にアスカ薬局を開設。74~84年日本薬剤師会常務理事。84年~88年日本薬局協励会副会長。88~98年日本薬剤師会常務理事、98~2002年日本薬剤師会会長。2014年東邦ホールディングス「未来総研」評議員。現在も店頭に立ち、地域の人々の健康相談にのる日々を送る。



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