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特別寄稿『さらば“本末転倒”の薬学文化「医師の調剤」』 公益財団法人 永井記念薬学国際交流財団 永井 恒司

2016年08月31日 17:50 by Ijyuuinn_manabu

さらば"本末転倒”の薬学文化「医師の調剤」

公益財団法人 永井記念薬学国際交流財団 永井 恒司

1.「医師の調剤」は人類の叡智に反する"本末転倒”の薬学文化 ―さらば、「医師が居れば要らない薬剤師」

「医師の調剤」は、人類の「医師は処方し薬剤師は調剤する」医薬分業の原則に反する"本末転倒”の薬学文化である。

"To err is human”という世界共通のことわざが示すように、人間は過誤から逃れられない。その過誤を可及的にゼロに抑えるため、当人以外の者による監査を行わせる仕組みが、人類の叡知の所産として形成されている。このことは、社会に於ける、警察、国会2院制、企業の執行・監査両役分離等の卑近な例からも容易に理解できよう。

全く同様に、医師の処方を監査する薬剤師が必要になり、その役を医師は兼務できない。これが医薬分業の鉄則である。従って、日本の「医師の調剤」は、疑いもなく後進国の証しであると言わざるを得ない。

上記のように、本来、医薬分業は、人間由来の過誤を可及的にゼロに抑え、医薬の安全を保証するために存在する。しかし、明治維新によって1874年に導入された「医師は処方し薬剤師は調剤する」大原則は僅か15年続いただけで、1889年に薬剤師不足という「本末転倒」の理由により、逆行して「医師の調剤」容認の形に移行した。

以来、頻繁にこの大原則奪還の運動が繰り広げられたが、薬剤師職能不十分を理由に、今日まで覆されずにきている。

そして、ここに掲げられた薬剤師職能不十分という理由は、近年実現した薬剤師生涯教育の充実や薬学教育6年制により解消されたはずなのに、依然、医師法第22条・歯科医師法第21条・薬剤師法第19条それぞれの例外規定による「医師の調剤」が維持されている。

そして、この日本の「医師の調剤」に関しては、「医薬安全保証」という医療上の大義は捨て去られ、医師・薬剤師の医療報酬や利権、便宜性等、まさに「本末転倒」の問題が優先的に取り上げられている。

この「本末転倒」という言葉は、医師法第22条・歯科医師法第21条・薬剤師法第19条それぞれの例外規定が廃止され、日本の「薬剤師は医師が居れば要らない」ステータスから脱出し、世界先進国の薬剤師に肩を並べられるようになるまで無くならない。

2.”本末転倒”の「医師の調剤」容認の重大な根源―無形事象(処方監査)を重要視しない幼稚な文化

欧米先進国には『分業』という用語はなく、「医師は調剤しない」のが常識となっている。

これは、1240年にシチリア王国フレデリックII世王の勅命により法律として確立され、今日まで医療の根幹を成して来た歴史がある。日本で、なぜそのような文化が育たなかったのか?

その重大な起因は、調剤の無形の側面(処方監査)を重要視しない薬学文化にあると言えよう。ちなみに、サービスのような無形の事象に"チップ”を払う習慣が形成され難かったのもそのためであろう。実際、筆者はアメリカに留学した50年前、"チップ”がそれほど洗練された習慣であるとは思えなかった。

薬学領域で調剤は、処方監査(無形側面)と薬剤調製手作業(有形側面)の両側面から成り立っているが、欧米先進国の調剤が前者を重要視しいているのに対し、日本の調剤は後者を重要視している。

そして、後者の「薬剤調製手作業」の場合では、医師の処方せん通りに、投与薬剤を調製するだけという誤った認識から、医師なら調剤もできると見なされ、「医師の調剤」の法的容認へと発展した。

そして、日本の薬剤師は、他の先進国に例のない「医師が居れば要らない」ステータス(プソイド薬剤師=疑似薬剤師)となった。

調剤にとって、「処方監査」と「薬剤調製手作業」の両方が重要であることは間違いないが、厳密には薬剤師の役割として両者が同等の重要度であるとは言えない。

例えば、後者を主としてテクニシャンと呼ばれる準薬剤師に任せる国があり、正薬剤師とは別に、テクニッシャン(準薬剤師)を養成する教育機関が存在する。しかし、前者の「処方監査」は厳格に正薬剤師固有の担当役割となっている。

一方、日本では「薬剤調製手作業」を調剤の主業と考える「医師の調剤」には、薬剤師による「処方監査」はなく、薬剤師は不要となる。つまり重大な医薬安全保証が欠落しているのである。この点は特に強調しなければならない。

3.マッカーサー元帥の「日本人の精神年令12才」からの脱却―"本末転倒”の「医師の調剤」は先進国に例のない、精神年令12才以下の"社会的未成熟事象”

インターネット辞典Wikipediaに、第2次大戦後に来日した占領軍指令長官のマッカーサー元帥が『日本人の精神年齢は12歳』と発言したことが載っている。

正確には「民主主義において、アメリカやドイツが45歳ならば、日本は未だ12歳の少年、ドイツ人は経験を積んだ大人にも関わらず戦争を犯したが、日本人はまだ経験の無い子供だから戦争を起こした」という意味のようであったが、いずれにせよ、日本人の精神構造が幼稚であることに触れたのである。

この言葉は、社会的に未成熟な事象に遭遇する場合が多々ある日本の現状にも当てはまると言える。

「医師は調剤しない」医薬分業は、既述のように、1240年に法律より定められ、800年以上もの歴史を経て確立された、非の打ち所の無い世界普遍の医療の真理である。それを日本人は未だに異を唱えることもなく、受け入れもしないのは、まさにマッカーサー元帥のいう「精神年齢12才」のままで、実はそれ以下、と国際的に言われても致し方あるまい。

しかし、多くの医師が「医師は調剤しない」のが当然と心得ていることは光明である。そして「医師は処方し薬剤師は調剤する」医薬分業が達成されれば、医療の場に次のようなメリットがもたらされる。

① 医師及び薬剤師が相互独立関係の基で、それぞれの医療職としての義務・責任が強化され、特に「医師が居れば要らない」薬剤師のステータスから脱出し、医療の質が向上する。

② 医薬の安全保証のための薬剤師の「処方監査」機能が作動し、開かれた医療が施される。

③ 医師には"診療と処方”という固有の職能があり、他職(薬剤師)の固有の職能(調剤)を侵さず、医師固有の職能に専念でき、医療の質が向上する。

④ 薬剤師は、本末転倒の非薬学的な派生業務(例えば薬品販売業など)を主業とする現業から脱し、欧米先進国の「かかりつけ薬剤師」に見られる本来の薬剤師固有の職能が主業になり、真の医療職として市民へのサービスが向上する。

⑤ 医薬品に関する業務を全面的に薬剤師に任せることにより、医薬品過剰投与排除・適正使用など医療の合理化が計られ、国の総医療費の軽減に役立つ。

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